“キューブリックの「フルメタル・ジャケット」が「ベトナム」とはなんの関係もない映画だったように、この映画もまた、ベトナムとはなんの関係もない。そのときのアメリカにとって手近なトラウマがベトナムだった、ってだけ。もっともらしいクスリの話とか陰謀とか出てくるけど、それはあからさまにやる気がない。最後のテロップの唐突さは笑っちゃったくらい。
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んじゃ、これは何の映画なのさ。
これは、とても嫌な映画だ。「究極的には、我々はみな死人だ」という言葉がある。生まれてから、死に向かってノタノタ行進していくぼくらのカラダ。この映画に満ち満ちているのは、それだ。映画という「進行する」媒体の根源にあるイヤーな特質。時間に拠ったメディアの最も見たくない面。それは「始まって、終わりに向かって進行してゆく」こと。始まった映画は必ず終わる。「終われば何でもハッピーエンドだ」と某映画監督は言ったっけ。でも、それは裏を返せばこういうこと。
「映画は終わる。終わりがイヤならすべての映画はーーバッドエンド」
この映画に満ち満ちているのはその空気だ。終わる。あああ、終わりに向かって進行してゆく。俺にはそれが止められない。終わる。終わっちまう。そんな、ぼくらが生きている上で意識したくない感覚が、画面のいたるところから触手を伸ばし、時間という無慈悲なマシーンへぼくらをからめとろうとする。
だから、この映画は見ておいたほうがいい。映画というメディアが、いかに呪われた力を有しているのか、それがわかる。わかるからイヤになるのだけれど。
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(via booby4649)