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- 文筆家・近代ナリコの書評ブログ : 『絵と言葉の一研究 「わかりやすい」デザインを考える』寄藤文平(美術出版社)
「わかる」ということのおもしろさや楽しさが、この人の手がける仕事のかんどころだと、これまで私は感じてきたのだったが、はたしてそうなのか。本書を通読すると、自らの「わからない」を容易に手放さない姿勢の先に、この人の数々の仕事は連なっているようにみえてくる。第6章「わかるとわかりやすさ」にはこうある。
ふつうに考えて、ある物事が「わかる」とき、同時に「わからない」ことも増える。僕はデザインについて母よりもわかっているけれど、母よりも「わからない」と感じている。「わかる」というのは、「わからない」ことが生まれて、それをまた「わかる」という「わかる⇄わからない」の反復運動だと考えた方が自然だ。
そのように考えると、「わかりやすくする」というのは「その運動をより活発にする」ことだといえる。「わかりやすく伝える」ことは、「その運動がより活発になるような伝え方をする」ということだ。
だから、いきなり「わかった」状態にしようとしなくてもいい。「わかった」というのは運動をいったん打ち切ることだから、むしろ「わかりやすさ」の逆だ。「わからない」ほうがいいこともある。
すとんと腑に落ちるときの快感、というものが確かにある。広告等の仕事においては、その着地点はおおむね、安心安全なところに設定されているから、こころおきなく腑に落ちてしかるべきなのだが、「『わかりやすい』デザインを考える」というサブタイトルをもつ本書から私が受け取ったのは、「わかる」ことの快感などではなかった。
”- 文筆家・近代ナリコの書評ブログ : 『絵と言葉の一研究 「わかりやすい」デザインを考える』寄藤文平(美術出版社)