“「震災以降世界は一変した」と書いているひとを何人か見た。なにが変わった? わたしにはお米とたまごと牛乳と納豆と水と煙草の流通量と電車の本数が変わったようにしか見えなかった。そして、たとえば善意と呼ばれるもの、それはもともとあったかもしれない、けれどありったけの善意が密集して蛆のようにおりかさなって、ぐちゃぐちゃとした、気持ちのわるいものになった。デモについてわたしがわからないのは、それがはたして善意なのかということだった。「原発とめろ!」の声はだれから発され、だれに向けられたものだったんだろう。わたしはうまくその声を聞くことはできなかった。「原発とめろ!」の声なんてネットを開けばたくさん流れている。そんなことはわかっている。だから、それはもう知っている。わかっている。聞きたいのはほかのことだ。もっと個人的なことだ。わたしがそれを聞けなかったということは、きっと、東京電力も政府も聞いていないだろう。東京電力も政府もそういう声があることを知るだろう。でも、たぶん、その声を聞くことはうまくできないんだと思う。”
- 「シュルレアリスム展」@国立新美術館|首吊り芸人は首を吊らない。
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