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今だから言える話ですが、給料がもらえるまで、3回ほど子どもたちに手をかけてしまおうかと思ったことがあります。最初は「私が死ねばこの子達はもっと食べられる」と思ったのですが、「この子たちをおいて死んでも、やっぱり苦労するんだろう」と思って。寝静まったころに、どれから手をかければいいかなどを、まじめに考えていたんですよ。騒ぐかもしれないと思って、仮設に火をかけることも考えて。そこまで追い込まれていたんです。
私は、単純な性格なので、寝て起きたら、津波だって生き延びることができたんだ、国が国民を見殺すわけがない、世の中の誰かがきっと助けてくれるって、生きる気力がわくんです。でも夜になればまた死にたくなる。その繰り返しです。
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東日本大震災から今日までをいかに生き延びてきたか ―― 陸前高田の仮設住宅で暮らす女性たちによる座談会 (1/2)(SYNODOS JOURNAL) - BLOGOS(ブロゴス)
http://www.sanriku-shigoto-project.com/
(via suchi)