“ インディーズ映画好きの姉に誘われて、先日『ミツバチの羽音と地球の回転』という映画を観に行った。山口県の島に持ち上がった原発建設計画を巡る、28
年来の住民による反対運動を追ったドキュメンタリー映画で、原発や核兵器の問題提起で注目を集める鎌仲ひとみ氏が監督を務めている。2010年に封切られ
た作品だが、偶然にも題材がタイムリーなものとなったため、人気が急上昇しているらしい。僕らが映画館に着いたときには昼の部がすでに満員だったので、そ
の後に予定されている監督のトークセッションを先に観て、夜の部のチケットを買うことにした。
で、そのトークセッションがすごかった。
鎌仲監督のトークはまあ普通だったと思う。映画を作った背景や製作中の苦労、現在の原発運営に関する問題提起などを素朴な口調で簡潔に語ってくれた。すさ まじかったのは、その後の質問コーナー。最初に挙手した40代くらいの女性は、枕詞のように映画に対する美辞麗句を並べたあと、「監督も女性ですし、やっ ぱりこれからは女性の時代です」といきなり持論を展開。色々な例を挙げてベラベラしゃべった後、「男性に任せる社会は今みたいな隠蔽体質を生むと思うんで す」と結んで、一曲やり終えた歌手みたいな顔をしてようやくマイクを離した。次にマイクを握ったのは、初老の淑女。やはり美辞麗句を冒頭に連発したあと、 「私、NGO団体に参加しているんですけど、今度フォーラムを行います。よかった皆さん来てください」と締める。その後も老若男女問わず、様々な人の口か ら、似たような雰囲気のマイクパフォーマンスが繰り返された。
ほとんど質問の出ない質問コーナー。マイクを握る人のイっちゃった眼差 し。ときに自然とわき上がる拍手――。たぶん、題材と時期の重なりが悪かったんだと思う。知的好奇心を満たそう、何か学ぼうといった目的ではなく、持論を 補強するための鎧として映画を観に来たアホが大量にいたみたいだ。普通の感覚で鑑賞した人も多かっただろうけど、トークセッションというフィルターによっ て、なんか濃縮されちゃったっぽい。
あまりに双方向性のない雰囲気が見事だったので、しばらく質問者ウォッチに集中していたんだけど、 気鋭のドキュメンタリー映画監督の話が聞ける機会は貴重なので、僕も(いや、僕「は」)質問してみた。反体制側から問題提起する人に常々聞いてみたかった のは、自分が扱う情報の選定方法。たとえば、チェルノブイリ原発事故は、死者数が数100人とも数万人、数十万人とも言われている。政府を含めて色々な調 査団体が、人数を推定するために様々な統計や調査を参考にしたと思うんだけど、資料のなかにトンデモ系が混じっていることもある。そうしてまとめられた玉 石混淆の推定値のなかで、説得力があるのは確かな資料だけを採用した客観的に公平なものだろう。鎌仲監督はトーク中に、政府や電力会社発の情報に対する不 信感を何度も口にしていた。じゃあ、その反論として作った映画に説得力を持たせるために、どんなデータをどんな選定方法で採用したのか。そこに興味があっ た。
「放射能被害を推定するデータはたくさんありますが、鎌仲監督はどんなデータをどういう理由で採用しているんですか?」
だけど、鎌仲監督からはきちんとした答えが返ってこなかった。「日本は死因をごまかせるから、比較的死因をしっかり残す仕組みのアメリカのデータが参考に まります」というものの、その他の例示や自分なりの情報選定のルールなどは語らず、最後は「放射能は様々な身体の不調を呼ぶものなので、本当に気をつけな くてなりません」と強引にまとめられた。別に仕事じゃないし、厳しい追及なんてする気はないから、僕もにこやかな表情を作って「分かりました。ありがとう ございます」とマイクを離したけど、軽くショックだった。
鎌仲監督は劣化ウラン弾が飛び交う戦地を取材するなど、すごくハードな生き方 をしている。その生き様は否定しない。だけど、自分で集めた情報を元に世間へメッセージを送る仕事人としては、ちょっと不誠実だと思った。別に分からない 部分があっても構わないんだけど、分からない部分を自覚するのが重要じゃないか。たとえば、「放射能被害のデータは実際よく分からないから、現場で自分が 見たことしか言わない」とかでもいい。そうやって切り分ける姿勢が誠実だと思うんだ。確固たる線引きを持っている人なら、突然の質問だったとしても、ポリ シーの片鱗はみせてくれるはず。なのに、まったくかみ合わなかった。
だから疑念がわいてしまった。もしかしたら、「原発は悪だ!」とい う仮説が事実か確かめる段階を省いて、仮説に真実味をつけるために都合の良いデータをあてがっているだけの映画なのかもしれない――。そう思うと、とても じゃないがセッション後の映画を観る気分になれなかった。僕は純粋に資料としてドキュメンタリー映画が観たいだけなのに、恣意的なデータで資料性が歪めら れた可能性のあるものなんて観たくない。
・・・てことで、結局映画は観ずに帰った。でも、何の根拠もなく持論を盲信できる人々をリアル で体験できて、自分の商売道具をきちんと説明できない人に対する残念な気持ちも勉強できたので、かなり充実した一日だったのは間違いない。いつか時間が 経ったら、DVDか何かで『ミツバチの羽音と地球の回転』を鑑賞したいと思う。そのとき、鎌仲監督にごめんなさいと言える作品だったら嬉しいな。”
- 古田雄介のブログ: 僕が『ミツバチの羽音と地球の回転』を観なかった理由 (via nakano)
で、そのトークセッションがすごかった。
鎌仲監督のトークはまあ普通だったと思う。映画を作った背景や製作中の苦労、現在の原発運営に関する問題提起などを素朴な口調で簡潔に語ってくれた。すさ まじかったのは、その後の質問コーナー。最初に挙手した40代くらいの女性は、枕詞のように映画に対する美辞麗句を並べたあと、「監督も女性ですし、やっ ぱりこれからは女性の時代です」といきなり持論を展開。色々な例を挙げてベラベラしゃべった後、「男性に任せる社会は今みたいな隠蔽体質を生むと思うんで す」と結んで、一曲やり終えた歌手みたいな顔をしてようやくマイクを離した。次にマイクを握ったのは、初老の淑女。やはり美辞麗句を冒頭に連発したあと、 「私、NGO団体に参加しているんですけど、今度フォーラムを行います。よかった皆さん来てください」と締める。その後も老若男女問わず、様々な人の口か ら、似たような雰囲気のマイクパフォーマンスが繰り返された。
ほとんど質問の出ない質問コーナー。マイクを握る人のイっちゃった眼差 し。ときに自然とわき上がる拍手――。たぶん、題材と時期の重なりが悪かったんだと思う。知的好奇心を満たそう、何か学ぼうといった目的ではなく、持論を 補強するための鎧として映画を観に来たアホが大量にいたみたいだ。普通の感覚で鑑賞した人も多かっただろうけど、トークセッションというフィルターによっ て、なんか濃縮されちゃったっぽい。
あまりに双方向性のない雰囲気が見事だったので、しばらく質問者ウォッチに集中していたんだけど、 気鋭のドキュメンタリー映画監督の話が聞ける機会は貴重なので、僕も(いや、僕「は」)質問してみた。反体制側から問題提起する人に常々聞いてみたかった のは、自分が扱う情報の選定方法。たとえば、チェルノブイリ原発事故は、死者数が数100人とも数万人、数十万人とも言われている。政府を含めて色々な調 査団体が、人数を推定するために様々な統計や調査を参考にしたと思うんだけど、資料のなかにトンデモ系が混じっていることもある。そうしてまとめられた玉 石混淆の推定値のなかで、説得力があるのは確かな資料だけを採用した客観的に公平なものだろう。鎌仲監督はトーク中に、政府や電力会社発の情報に対する不 信感を何度も口にしていた。じゃあ、その反論として作った映画に説得力を持たせるために、どんなデータをどんな選定方法で採用したのか。そこに興味があっ た。
「放射能被害を推定するデータはたくさんありますが、鎌仲監督はどんなデータをどういう理由で採用しているんですか?」
だけど、鎌仲監督からはきちんとした答えが返ってこなかった。「日本は死因をごまかせるから、比較的死因をしっかり残す仕組みのアメリカのデータが参考に まります」というものの、その他の例示や自分なりの情報選定のルールなどは語らず、最後は「放射能は様々な身体の不調を呼ぶものなので、本当に気をつけな くてなりません」と強引にまとめられた。別に仕事じゃないし、厳しい追及なんてする気はないから、僕もにこやかな表情を作って「分かりました。ありがとう ございます」とマイクを離したけど、軽くショックだった。
鎌仲監督は劣化ウラン弾が飛び交う戦地を取材するなど、すごくハードな生き方 をしている。その生き様は否定しない。だけど、自分で集めた情報を元に世間へメッセージを送る仕事人としては、ちょっと不誠実だと思った。別に分からない 部分があっても構わないんだけど、分からない部分を自覚するのが重要じゃないか。たとえば、「放射能被害のデータは実際よく分からないから、現場で自分が 見たことしか言わない」とかでもいい。そうやって切り分ける姿勢が誠実だと思うんだ。確固たる線引きを持っている人なら、突然の質問だったとしても、ポリ シーの片鱗はみせてくれるはず。なのに、まったくかみ合わなかった。
だから疑念がわいてしまった。もしかしたら、「原発は悪だ!」とい う仮説が事実か確かめる段階を省いて、仮説に真実味をつけるために都合の良いデータをあてがっているだけの映画なのかもしれない――。そう思うと、とても じゃないがセッション後の映画を観る気分になれなかった。僕は純粋に資料としてドキュメンタリー映画が観たいだけなのに、恣意的なデータで資料性が歪めら れた可能性のあるものなんて観たくない。
・・・てことで、結局映画は観ずに帰った。でも、何の根拠もなく持論を盲信できる人々をリアル で体験できて、自分の商売道具をきちんと説明できない人に対する残念な気持ちも勉強できたので、かなり充実した一日だったのは間違いない。いつか時間が 経ったら、DVDか何かで『ミツバチの羽音と地球の回転』を鑑賞したいと思う。そのとき、鎌仲監督にごめんなさいと言える作品だったら嬉しいな。”
- 古田雄介のブログ: 僕が『ミツバチの羽音と地球の回転』を観なかった理由 (via nakano)