“ 音楽は偏在性を強く示す営みで、時空を超えます。母親の鼻歌まじりの子守唄は、その時のその子にだけ届いているのではない。1974年のハードロックは、レコードによる再生などとは別に、当時のワタシではないワタシに届いています。いますぐ机を叩き、口笛をお吹きになるがよい。そこに誰もいなくとも、音楽は偏在性と共に、飛行に似た運動を起こします。すなわち無人島に咲く花の美は実存する。この実感を、ワタシはほとんど音楽だけから得たので、非常に教養のあり方が偏っていると思っていますし、この実感を巡るやりとりの中で、物語という概念が生まれ、調性という概念が産まれたと思っています。どちらも内部に、偏在性の否定もしくは未知を抱え込んでいます。本日もまた不謹慎を承知で書きますが、現在のテレビ中継、そして中継されている惨状の連鎖は、終末モノと呼ばれる、CGを駆使した、ハイバジェットなハリウッド映画のようだ。これは偏在性の拒否であり、音楽と根本的に対立しうる物です。”
- PELISSE 菊地日記 閲覧ページ - これから必ず、書く前に亡くなった方々に黙祷を捧げてから書き始める事にします。マネージャー長沼の2歳のガキが「エ〜シ〜」という口癖をつけてしまったそうですが、それはともかく、昨日の日記を読み、演奏のお誘
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