オスロで起きた大量射殺事件を「テロ」と表現した新聞が多かった。これに違和感を抱いた人はわたしだけではないはずです。(切にそう願う。)
911が起きたときブッシュ大統領は「これは戦争だ」と言いましたが、日本でも浅田彰などは冷静に「これは犯罪だ。戦争ではなく犯罪だ。」と言いました。そして「本来は、証拠を固めた上で、彼らを警察によって検挙し、司法によって裁くというのが筋でしょう。」と続けています。(「批評空間」第三期二号)アメリカがヒステリックに戦争に走るのではなく、浅田氏の言うようにすべきであったことをわたしたちは知っている。
ノルウエーがアメリカのような間違いを犯さないことを、わたしは願っていたけれど、どうやら杞憂に過ぎなかったようです。ノルウエーの首相の Jens Stoltenberg 氏がすばらしい発言をしているからです。彼は、国家がテロリスト攻撃を理由に人々から基本的自由を奪うような真似は決してさせないと誓いました。彼は事件を警察が扱うべき犯罪と見、「テロに対する戦争」みたいな軍事的事件とは見ていません。たしかにこの事件によって国家は変わるでしょうが、しかし彼は「今まで以上に開かれ、寛容な社会」へ変わることを彼は望むと言ったのです。(こちらの記事です。)
彼は数日前にも「一人の人間がこれほどの憎悪を示すことが出来るのなら、われわれ全員が一丸となればどれほどの愛が示せるだろう」と言いました。
立派な言葉です。日本の政治家からはおよそ期待できない言葉ですが。ちなみに日本の政治家が放射能に対する安全基準を低くし、さらに311以降、いわゆる「インターネット監視法」に集約される言論統制を行ってきた事に対して、海外からは「日本よ、どうなってしまったんだ、おまえは民主国家じゃなかったのか」という声が澎湃として湧起っている。日本のメディアは一言も報じないけれど、知っておくべき事です。
- 電子書籍、ヴォーカロイド、そしてコンピュータ将棋 首相の言葉 (via cr96)