1990年代に入って薬害エイズ事件が明らかになるにつれて、血友病治療の権威としての非加熱製剤の使用に関する責任が注目された。TVの取材等に対して当初は冷静な受け答えをしていたが、やがて認知症を患い、激昂してくると感情を堪えきれないようになり取材者に対して攻撃的な風貌・物腰・話しぶりをするようになっていった。
1996年8月、任意の事情聴取で容疑を否認したため、捜査機関は在宅での捜査では立証が困難だと判断され、80歳ながら逮捕される。9月に業務上過失致死罪で起訴された。なお、安部の容疑は自らが担当した患者にHIVに汚染された非加熱製剤を投与して死亡させたことであり、HIVに汚染された非加熱製剤を流通させたことではない。
2001年の一審では検察の懲役3年の求刑に対し、無罪判決が言い渡された。判決文ではギャロ博士やモンタニエ博士らの世界の研究者が公式見解は事件当時の1985年はHIVの性質やその抗体陽性の意味に不明点が多々存在しており明確な危険性の認識が浸透していたとはいえないこと、代替治療法としてのクリオ製剤には治療に様々な支障があったこと、安部医師を告発した元医師の供述は事件当時の1985年前後に非加熱製剤とHIVの関連を予期する発言や論文が見られない点や非加熱製剤とHIVの関連を予期する供述には当時の専門家の認識から突出している点から検察官に迎合した疑いを払拭し難く信用性に欠ける不自然な供述であることなどがあげられた[2]。安部を極悪人扱いしていたメディアからは一審無罪判決を予想外と報道することが多かったが、医療関係者や法曹関係者の一部には無罪判決となるのはやむをえないとする意見もあった。
無罪判決に検察が控訴したが、心臓疾患や認知症を発症したため公判停止となり、メディアにより印象付けられた悪意や風評を払拭する機会がないまま2005年4月25日に88歳で死去した。
”- 安部英 - Wikipedia (via abuf)