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- 「歳の取り方」が分からなくなった社会 - シロクマの屑籠(汎適所属)
だから、今日日の人は、社会的・心理的には、老いも若きも「歳を取らなくなった」。
生物としては加齢していくし、やがて脳は保守的になっていく。だが、思春期~壮年期~老年期を区別する節目がわからなくなるなかで、若い頃の心理的・社会的スタンスを引きずったまま加齢し、そうこうしているなかで保守化していく、というパターンが多くなっているのではないか。
これは、「思春期モラトリアムが延長した」というだけの話でない。三十代になっても四十代になっても若い頃のライフスタイルと価値観を引きずりやすく、「歳をとることをズルズルと回避」するような暮らしが常態化してしまった、ということのようにみえる。社会全体が、松田聖子のようになってしまった。「ここから先は青年」「ここから先は壮年」「ここから先は老年」といった境界が不明瞭で、若さに拘ることが至上命題のような価値観と消費構造のなかで、個人は、人生のギアチェンジをすることもないままに、思春期や児童期や幼年期の面影を色濃く残したまま加齢していく存在となっているようにみえる。
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