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- ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日 - 日本語インターネットという洞窟
うまく言えないが、インターネットというのは、いかにも仲間なんだから、おれがもっているものはもっていってもいいんだよ、という英語国民が少なくとも理想としてはもっている気分に根ざした文化であって、日本のひとのような「自分はあなたよりもすぐれている」ことが大事な文化とはあいいれないような気がします。
議論も、おのおのが開発したツールやスクリプトの交換も、学会というシステムも、「きみもぼくも同じ人間でしょう」という気分においては同じであって、政治家だから偉い、学者だから、作家だから偉い、ということは起こりえない。たとえば画家というものについて言えば、「画家」というものが社会的なステータスではなくて、そのひとがある絵に対する敬意だけが画家のステータスたりうる。
”- ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日 - 日本語インターネットという洞窟