“ ただし、購入はしたものの、それほど熱心には聴いていません。「懐かしのメロディ」は何度も繰り返し聞くと、そのうち気分が滅入ってくるからです。最初
は当然懐かしく微笑ましいのですが、なぜかふいに気分が落ち込みます。過去に関してはやがてネガティブな思い出もよみがえってくるからだと思っていまし
た。でも、最近それだけではないと思うようになりました。
60年代という時代は、冷戦が存在し、ベトナム戦争が続いていましたが、乱 暴に言うと「資源は無尽蔵であり大量消費は善」という時代だったと思います。先進国では学生の反体制運動が起こり、愛と平和を呼びかけるヒッピーと呼ばれ る人々がいて、ウッドストックに代表される大音量・大観衆の野外ロックフェスティバルが大流行でした。そしてそれら政治と文化のムーブメントはいつしか終 わるのですが、その契機は、オイルショックではなかったかとわたしは個人的に思っています。
資源は有限だということで、政治的・文化 的反抗への許容度が一気に少なくなり、その後、地球温暖化など環境問題がクローズアップされるようになって、「大量消費が善」という考え方は完全に時代遅 れになりました。ある意味でのどかだった時代が終焉したわけで、それが人類にとってよいことであるにしても、うまく言い表せない「息苦しさ」が新たに生ま れたような気がしています。懐かしのメロディを繰り返し聞くとやがて気分が沈むのは、その後の閉塞が織り込まれていない音楽に対して苛立つからだろうと、 最近ではそう思うようになりました。”
- [JMM]From 村上龍 〜編集長エッセイ〜/村上龍
60年代という時代は、冷戦が存在し、ベトナム戦争が続いていましたが、乱 暴に言うと「資源は無尽蔵であり大量消費は善」という時代だったと思います。先進国では学生の反体制運動が起こり、愛と平和を呼びかけるヒッピーと呼ばれ る人々がいて、ウッドストックに代表される大音量・大観衆の野外ロックフェスティバルが大流行でした。そしてそれら政治と文化のムーブメントはいつしか終 わるのですが、その契機は、オイルショックではなかったかとわたしは個人的に思っています。
資源は有限だということで、政治的・文化 的反抗への許容度が一気に少なくなり、その後、地球温暖化など環境問題がクローズアップされるようになって、「大量消費が善」という考え方は完全に時代遅 れになりました。ある意味でのどかだった時代が終焉したわけで、それが人類にとってよいことであるにしても、うまく言い表せない「息苦しさ」が新たに生ま れたような気がしています。懐かしのメロディを繰り返し聞くとやがて気分が沈むのは、その後の閉塞が織り込まれていない音楽に対して苛立つからだろうと、 最近ではそう思うようになりました。”
- [JMM]From 村上龍 〜編集長エッセイ〜/村上龍